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Yar Taraky

経歴について少し話していただけますか。

そうですね、私はアフガニスタンに20年間住んでいました。それから勉強のために外国に行きました。そして帰国し、戦争が始まりその時点で家族を連れて再び外国に行かなければなりませんでした。移住に苦闘し、国から国へと移りそしてついに約10年前にカナダに落ち着いたのです。

アフガニスタンにおられた時は、芸術の仕事をしておられたのですか。

そうですね、ええ、私は生涯、自分が記憶しているこの期間すべて、芸術に携わってきました。1988年に建築工学の学位をとりアフガニスタンで働き始めました。でも同時に、芸術の仕事を続け、1994年には芸術と芸術史の修士号をとりました。それに励まされて、もっと芸術の仕事をする人生になっていきました。ある時点で、私は芸術を開発の手法に溶けこませなければならなくなり、芸術をコミュニティ開発のために使って、新しい答を創造し、新しいアイデアや提案を思いつき、芸術を飾りのためだけでなく、コミュニティ開発のためにも利用するという概念を創り上げたのです。

あなたは絵画によって最も有名です。何か他の形態の芸術にも携わっておられますか。

そのとおりです。私はカナダのセイント・クレアー・カレッジで教えています。同時に、カナダのオンタリオ州ハミルトンの移民協議会の理事を務めています。この協議会は慈善団体で、その理事会は非常に活動的です。私たちは約100名の移民の職業芸術家を指導し助言してきました。職業芸術家というのは他の芸術家だけではなく、芸術家、音楽家、作家、詩人、ジャーナリストも意味しています。私たちは彼らが新しい生活に溶け込んでいく過程で指導し、助言します。それは彼らが得られる最も大きなコミュニケーションをともなった成長プロジェクトのひとつなのです。

その他に、えーと、芸術家のための屋外マーケット事業を始めました。私たちは若者への指導、助言をしてきました。これは私達がやったもうひとつの大きなプロジェクトです。どのように若者への指導、助言をするか、どのように若者を芸術にむかわせるか。基本的に私たちは、若者たちが選択しようとしている職業、教育、住んでいる市、様々な文化を尊重することに彼らが注意を集中するように仕向けます。その手段として芸術を利用します。私たちは話したり、講義したりしません。彼らを芸術プロジェクトに参加させ、彼らに挑戦し、彼らを困難な状況に置くのですが、若者は挑戦を好むのです。これがもう一つのプロジェクトです。私が自分でやっている別のプロジェクトは、メキシコの原住民の女性の権利拡大です。私たちはメキシコに行き、彼女達が非常に困難な状況下、そして困難な環境の中で住んでいる村々を訪れました。飲料水がないこと、アルコール中毒の問題、パートナーや夫、両親に係る問題、教育の問題、そして権利拡大の問題、という困難な状況と環境です。私たちは芸術を手段として用いました。このプロジェクトは、実際にカナダの政府機関「収入を上げるために共に働く組織」が立案しました。私たちは芸術を飾りのためだけではなく、コミュニティ開発、女性の権利拡大のために利用したのです。

東京のアフガニスタン大使館にあるあなたの作品は、すべてアフガニスタンの様子を描いています。アフガニスタンのテーマを含めるというのは、あなたの芸術の特徴なのですか。他にはどのようなテーマを、あなたは扱われるのですか。

そうですね、このプロジェクトは実はハロン・アミン大使が立案したものです。大使は私に電話をかけてきて、私の作品をみて、作品が発する前向きのメッセージに触発されたのです。本当のところ、私は意図的にそうしたのです。アフガニスタン国内の否定的なことや戦争や旱魃、金融問題とコミュニティ問題の真っただ中で、もっと前向きなメッセージを伝えようと決意したのです。そしてこの数年間私はアフガニスタンの肯定的なシーンを数多く描いてきました。それがみんなの目に留まり、私への注文はアフガニスタンの肯定的なシーンを描くことであり、私もそれができたことを喜んでいます。しかし、その他にも多文化主義について作業をしています。異なった文化や国の人々の音楽、踊りそして芸術の独自性についてです。ですから私の芸術には国境はないのです。私自身の中に、つまり私の絵の中に、アフガニスタン人が別の国の原住民といっしょに踊っている、あるいは彼らの芸術を使っているのが、あなたにもすぐにわかります。

あなたはどこでインスピレーションを得るのですか。

芸術家だけではなくすべての人が、しかしとくに芸術家はインスピレーションをもって生きています。仕事中でも休み中でも家でも人々はいつでも夢を持っています。たぶん唯一の時は寝ている時で、おそらくインスピレーションについて夢を見ているでしょう。ですから、インスピレーションはいつでもあるのです。難しい仕事は、そのインスピレーションをシンボルや構成物にして2枚目の紙やカンバスに描くことです。それが、芸術家が挑戦すべきことであり、そして私がそのやり方について自分のスタイルとシステムを持っていることなのです。私たちすべてがアイデアや理想について考えます。私はそれらを考え、創造し、非常に積極的にそれらを描き、そしてどのようにインスピレーションとイマジネーションを一つの作品として実現するかという自分のシステムを用いるのです。

アフガニスタンにはどれくらいの頻度で帰っていますか。

だいたい年に1回ぐらいアフガニスタンに行きます。

アフガニスタンには芸術の長い歴史があります。現代のアフガニスタン人は伝統的な芸術を受け入れていると思われますか。それとも、もっと現代的あるいは外国の影響を受けた芸術スタイルに引き寄せられていると思われますか。

そうですね、アフガニスタンは今もまだもっと伝統的な芸術スタイルをめざして苦闘しており、そして残念ながら芸術プログラムや芸術学校や芸術家を個別に激励したり支援したりするためにあまり多くのことはなされていないと言いたいですね。私が今いる場所では私は幸運ですが、今日のアフガニスタンには芸術を使って平和のメッセージ、開発のメッセージ、復興のメッセージを伝える莫大な量の可能性と力がありますが、残念なことにこの手段が使われていません。だから、おそらく人々、ある人々、がメッセージを受け取っていないのでしょう。彼らの生活のこの部分、私たちの文化のこの部分が、適切に使われていないのです。現代芸術が使われていません、アフガニスタンには現代芸術のメッセージを伝えている小規模な組織、NGOがいくつかあります。私は2007年にそれらを訪問しましたが、その影響は低すぎてコンテンポラリーアートを伝える手段とはいえません。私は作品の中でコンテンポラリーアートとデヴィジョノスチックアートの要素を使っていますが、アフガニスタンにもそれを使っている芸術家が何人かいます。一般にコミュニティ開発や装飾のためにどのように芸術を利用するかについては、いくつかの挑戦が試みられています。この分野はこれから開発されていくでしょう。

タリバンとその前のソビエトは、アフガニスタンの芸術家、そしてあなた個人にどのような影響を与えたのでしょうか。

芸術の禁止はタリバンがもたらしただけではありませんでした。1992年にはアフガニスタンの内戦とその後の禁止または無視によって、芸術家はその手段と芸術を失いました。それは1982年から始まりました。その時から芸術家たちはパキスタンで亡命生活をおくるかその他の国で生活してきました。多くの芸術家は私を含めて、ちょうど1982年末までにカブールを去りました。芸術によって生計を立てていた私の友人の芸術家の多くはアフガニスタンを去り、そしてタリバンがやってきたとき、彼らはさらなる一撃、最後の一撃、最後の鉄鎚を芸術と文化産業とに与えて、それ以来芸術は大きな損失を被っているのです。おそらくアフガニスタン、今日のアフガニスタンにおける芸術家の生活、芸術手段、そして芸術産業はその結果であり、彼らの無神経な芸術へのアプローチの結果なのでしょう。私はUstal Behsedのインタビューを聞いたことがあります。Behsedはアフガニスタンの最も偉大な教師、人物の一人ですが、私は彼のこの現実的なアプローチに肯定的な驚きを覚えました。1970年代にアフガニスタンが芸術の繁栄を謳歌した時代がありました。1970年代の初めごろ、ダウド大統領の下で芸術に関心がもたれ、芸術家は尊敬され、生計を立てていました。しかしおそらく芸術家にとって最も繁栄した時代は、1980年代のずっと後のほうでした。ムジャヒディンが現れる直前です。どういうわけか、芸術家は政府から尊敬されており、資金を給付されていました。その当時芸術産業は政府に支援されていたと、私に同意見の芸術家はたくさんいました。そして実際、その政府の見方はその目的のためでもあり、予防接種や平和のメッセージを伝えるためであり、政府とは何であるかのメッセージを伝えるためでもあったのです。しかし私が言いたいのは、この数年間にいくつかの素晴らしい試みがなされているということです。私は毎年カブールとヘラートに行っています。ヘラートにいたとき、昨年ですがヘラート大学の最終学年の学生や教授や教師と話しました。カブール大学の学生や教師にも話しました。大きな可能性が育ちつつあるのがわかりました。私の次の目標は政治家や影響力のある人々の部屋のドアをノックして、芸術を平和のメッセージや復興のメッセージや、アフガニスタンの異なる民族グループ、地域グループのあいだの友好のメッセージを伝えるために使うことです。今後2、3年の間にアートシーンは素晴らしく変貌すると信じています。

当社のウェッブサイトでは最近のアートショーについての記事を特集しました。アートショーは最近普通になってきているようです。おそらく、あなたの予言が既に現実になり始めているのでしょう。

2005年に私たちは多くのアフガニスタン人専門家たちと一緒に、「アフガニスタンの芸術家及びグラフィックデザイン協会」を立ち上げました。私はアフガニスタンにいたユネスコのディレクターを覚えています。その人は日本人で、それは偶然だと思うのですが、その長岡さんというカブールにいたユネスコのディレクターに参加を呼びかけ、彼はカブール大学にやってきて「アフガニスタンの芸術家及びグラフィックデザイン協会」の活動に参加したのです。ヘラートには地域アートセンターがあります。このセンターを運営している可愛い熱心な若い女性がいます。芸術が盛んになる可能性が高いと私が言うのは、その根拠を見たからなのです。推進したいと思っている多くの熱心で能力を持った人々を見ましたし、私はその歩みの中で彼らを支援したいのです。

アフガニスタンが芸術における名声を取り戻すことを助けるためにあなたの果たす役割は何だとお考えですか。

第一に、すべての芸術家の影響を強調したいと思います。すべての芸術家が私に影響を与えています。これまでに私は二つの学校を指導、支援しています。カブールの二つの学校に芸術の材料を提供しています。カブール、ヘラートそして西部の都市で賞を創設したいと思っています。最優秀学生への年間優秀賞です。これが私の次の目標です。そのための資金を集めたいと思っていて、その一部は私自身が拠出したいと思っています。そして各年に各学生が最優秀賞をとる、これが私の次の目標です。私は「カナダ芸術協会」とも話をしています。私は毎年一人の芸術家を選んでカナダに、そして多分その他の国々に送りこんで、展覧会をするか、ただ旅をするかして、芸術産業が発展しているところや芸術実践の異なった方法などを見てもらうという目標を持っています。現在アフガニスタンが抱えている問題の一つは、芸術家たちが芸術の仕事が若干変わってきたことを認識していないことです。私たちはもはや仕事をいつものようにすることはできません。新しいアイデア、新しいコンセプト、新しい手段を創造し、芸術手段を融合させ、視覚芸術を音楽や演劇と融合させなければなりません。そして、これは彼らが経験したことのないものなのです。この新しい生活で、私たちは芸術を利用する新しい現代的な方法を創造しなければなりません。これまで5年間やってきたように、私は指導、支援を続けたいと思います。ユネスコ、カブール国立博物館、国立カブール美術館とはずっと連絡を取り合ってきました。過去5年間、私は国立カブール美術館を支援してきました。基本的に私の人生の一部はアフガニスタンの芸術産業推進のためにささげられますが、将来何をやるにしても、私の人生の一部はそれにささげられます。

芸術はあなたの家族の中に伝わっていて、あなたの息子さんはアニメーションに携わっておられるとのことですが。

そうですね、Abdullah Tarakyは芸術を私と始めましたが、彼は「移民文化芸術協会」のほかの教師たちの経験も利用しました。いまでは、彼は非常に優れた技術を持った画家です。彼はシェラトンカレッジに行くことを決めました。そして大学には全く行かないで、そこで勉強を続けることにしたのです。彼はずっとシェラトンカレッジの学生で、課程はアニメーションです。将来彼がやるプログラミングのための彼自身のコンセプトを勉強しています。これは私の目標の一つなのですが、Abdullahが十分な経験と教育を得たら、彼を説得してアフガニスタンの物語やコンセプトを取り上げて、アニメーションにしてもらいたいのです。うまくいけば、彼はそれをエンタテインメント業界や、別のスタジオ、たとえばハリウッド、あるいはデズニ―か、どこか別のスタジオで革新的なアイデアを発掘して創造したがっているところに売り込めるかもしれません。ですからこれが私のAbdullahへのメッセージです。私は彼を手助けしています。彼は私を手助けしています。ですから、ある種の積極的な関係が始まっています。そして私はそれが続くことを望んでいます。彼がアフガニスタンの復興に応分の役割を果たすことを望むだけです。

あなたの家族が複数の世代にわたって芸術とアフガニスタン文化を表現し続けていることはすばらしいと思います。

彼は非常に優れたそして有望な芸術家ですから、大きな貢献をするでしょうし、それを期待しています。彼は世界の舞台に立つ事業の才能を持った芸術家です。私が目にすること、彼の作業のやり方、彼が事業をするやり方、彼が自分自身を扱うやり方、これらから判断して彼は急速に成長すると思います。私は確実にしたいと思っているのは、彼が自分の時間、才能、能力のほんの少しを割いてアフガニスタンに貢献してくれることだけです。