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アフガニスタン国民、美術工芸品の帰還を歓迎

2007年12月26日(Los Angeles Times)

今年は、感動的な帰還がOmara Khan Massoudiの仕事の大きな部分を占めた。この9か月間に、彼は何千ものアフガニスタンの失われたあるいは予想外の荷物が、外国での長期の亡命又は勾留から戻って来るのを目撃した。

帰国者は人ではなく、物である。アレキサンダー大王が触ったかもしれない礎石や小さな仏陀像、2000年前に人々の手から手に渡ったコインなどを含む、珍しい大変貴重な財宝である。

これらの品は、起伏の多い戦いの跡が残る生れ故郷にもどった。そこは数千年にわたって中東とアジアの十字路として機能してきた。国立アフガニスタン博物館の館長Masoudiが保存のために人生を奉げた品々は豊かな歴史である。博物館から略奪された、あるいは安全に保存するために外国に送られた品々を受け入れるのは、旧友と再会するようなものである。

「私たちは本当に嬉しく思います。」とMasoudi氏は語った。「非常に重要で貴重な品がこれらの工芸品に含まれています。アフガニスタンは非常に古い文明を持っています。私たちはそれらを保存しなければなりません。」

10年以上、ここアフガニスタンの首都にあるこの博物館は、この国の苦痛に耐え忍んでいる象徴であった。かつては中央アジアの工芸品の、世界でもっとも貴重なコレクションの宝庫であったが、破れた希望と夢が詰まった建物となり、博物館の建物の外観が内戦により破壊され、またその中身は宗教過激派のタリバンにより持ち出された。

博物館は再建中であり、その進展はしばしば、6年前に米国主導の部隊がタリバンを倒してから、アフガニスタン社会が痛々しく、ゆっくり発展している様子を映しだしている。

ロケット弾で屋根を粉々にされた、博物館の建物の再建はほぼ完成に近い。かつては醜く空虚であった窓枠にはガラスがはめられ、太陽の光を反射している。

作業員たちは1500点以上を清掃し、厳格なイスラム教義は彫られた偶像を神への冒涜とみなしている、タリバンにより破壊された300点を修理した。

今年ヨーロッパからの6000点近い工芸品の返還には、この博物館とタリバン武装勢力と戦っているアフガニスタン政府に対する信任投票を要した。

しかしながら、いかにもっと多くのことがなされなければならないかという表れとして、実質的にはすべての工芸品が、適切な扱いと展示場所を待っていて、箱にしまい込まれたままである。博物館には所蔵する数万点の品のうち、250点を展示するガラスケースがあるだけである。

入館者も不足している。平均で1日に20数名で、その多くは大学生である。最終試験の時期には、館内はさらに閑散とする。

しかし、アフガニスタン全体同様、この博物館は外国の支援とアフガニスタン版のディアスポラ、すなわち合法的あるいは非合法的に外国に持ち出された多くのアフガニスタン産の芸術品や工芸品の返還による再建を期待している。

今年帰還する第1便として3月に戻ってきたのは、1990年代後半にスイスに送り出された1423点である。彫像に対するタリバン政権の反対にもかかわらず、主要な司令官たちの何人かは博物館の所蔵品の歴史的重要性を認めて、彼らの敵である北部同盟と多くの工芸品を安全に保管するために送り出すことに合意した。

このコレクションは、幾世紀、幾王朝にもわたるもので、スイスの北部でおそらく世界で唯一の亡命中の博物館に展示された。Bagramの精巧な象牙細工、2300年前のガーゴイル、ヤクの毛で作られた蠅たたきなどが含まれていた。

昨年アフガニスタン政府がこれらの品の返還を要求し、国連の当局者がようやくそうしても安全であると決定したとき、スイスでこのコレクションの責任者を務めた、博物館の館長でありアート専門家であるPaul Bucherer-Dietschiはほっとし、喜んだ。

「このコレクションは私の物だったことはありません。それは国際社会のものであり、それが発見された場所であるアフガニスタンが管理者であることがふさわしいです。」とBucherer-Dietschi氏は語った。「これらの品を返還できて嬉しいです。それはアフガニスタンが回復してきているという証ですから。」

このコレクションの所蔵品で最も価値のあるものはおそらくアテネの象徴であるフクロウの印がある男根の形の石である。これはアレキサンダー大王が築いたかもしれない古代都市Ai-Khanumの基礎の一部である。もしそうならば、この伝説の戦士が自らこの石を扱った可能性がある。

「もしオークションにかければ、値段がつけられないものとなるでしょう。」とBucherer-Dietschi氏は語った。

これより大きな工芸品の荷がデンマークから引き渡された。4300点以上が5月に直接ハミド・カルザイ大統領に贈られた。数年前にデンマークの警察がこれらの工芸品を押収した。略奪又は盗難にあった発掘品で、紀元前1世紀及び2世紀の動物の人形やコインが含まれていた。

アフガニスタンの史跡や発掘場所では略奪が横行している。当局は、この問題と戦うために考古学警察を作りたいと希望している。2月には、国際博物館評議会が盗難品のブラックリストを発行して、オークション業者、館長、コレクターに警戒を呼び掛けた。

1990年代初期に内戦が再発する前には博物館が元から所蔵していた品の数は10万点に上るが、その半分以上が破壊されるか、盗まれて国際的な民間コレクターに売られてしまったと、Masoudi氏はみている。

戦争中、博物館の職員はかけがえのない品を守るために危険を冒して、カブール近辺の秘密の場所に多くの品を移した。タリバン信奉者の一団が博物館に乱入し何世紀も略奪を免れてきた彫像や肖像をたたき壊したときには、泣いた職員もいた。

1970年代の戦争と作品の放置によりフレスコ壁画、コイン、武器、イスラムアート、宝石その他の計り知れない価値、驚くべき作品らのほとんどが失われた。

ギリシャやその他の国の政府から資金援助を受け、博物館はゆっくりと再建されつつある。専門家により写真とセラミックスのための新しい展示コーナーも作られた。

博物館は外国からカメラ、スキャナー、プリンターを贈呈された。また、日本とオランダはもっと多くの展示ケースを供給している。

Masoudi氏が本当に願っているのは、カブール市街の西の端にあって、1931年以来博物館が置かれている、しかし博物館としてではなく市庁舎として建てられたこのやや暗い、灰色の建物に代わる、もっと大きな施設を市の中心街に欲しいということである。

カブールの中心部に手頃な土地があるが、価格が350万ドルという博物館には支払えない金額である。

「これは優先事項です。」とMasoudi氏は語った。「この博物館はみんなが来館できるよう、市の中心部にあるべきです。」

その時まで、彼と65名の職員は現在の建物の寒くて隙間風の入るホールの中で仕事を続ける。

博物館の入り口にある「文化が存続し続けるならば、国家も存続し続ける。」と書かれている額が作品らを見守っている。